2015年2月4日水曜日

東ドイツを知っていますか〜ベルリンにて②


12月28日、ペルガモン博物館を後にDDR(ドイツ民主共和国=東ドイツ)博物 館を訪れました。博物館自体は小さなものでしたが、今や歴史の彼方に去っ てしまった東ドイツに郷愁を抱く、あるいは関心を持つ人々の行列ができて いました。 


かつて第二次世界大戦終了後にドイツは東西に分断され、西には日本や他の 西ヨーロッパ諸国と同じ資本主義、議会制民主主義によるドイツ連邦共和国 (BRD=西ドイツ)が、東にはかつての東欧諸国同様のソ連型社会主義によるド イツ民主共和国(DDR=東ドイツ)が誕生しました。また東ドイツの首都であ るベルリンには東西冷戦の象徴とも言うべきベルリンの壁が構築されまし た。この博物館では、その壁の向こう側がどうなっていたかを後世に残すことが テーマとなっています。当時の東側を知る貴重な文物が展示されている他、 東ドイツ風の食事を出すレストランが併設され、また当時の名車トラバント の運転シュミレーターなどが人気を集めている、どちらかといえば明るく楽 しめる雰囲気も感じられました。 
トラバントのシュミレーター           
お土産コーナーで買ったトラバントのパトカー
 
本物にも遭遇

東ドイツは東欧共産圏の国々の中でもっとも順調に計画経済を成し遂げ発展し、社会主義の優等生と呼ばれました。さらに、オリンピックなどでのメダル獲得数が群を抜いて素晴らしく、社会主義体制の優位性をアピールするお手本のような国家でもありました。その功績を讃える新聞や市民生活を伝える資料も展示されています。「あなたの進歩的人間度」というコーナーでは、裸の男性に服やグッズを選んで人物像を作り(左側)最後に右に正解と比較して社会主義度を採点するゲームがありました。息子は70点満点の36点で問題外。
僕は57点であと一歩。背景の旗が共産党の青年団のではなく、残念ながらベルリンサッカークラブになっています(笑)

しかし、政治犯収容所の独房など、その暗い一面も展示されていました。
次に東ドイツ国歌を紹介するコーナーです。この美しいメロディーは、シェーンベルクの弟子であるハンス・アイスラー作曲によるものです。バッハが生まれたアイゼナハなどの東部諸都市、メンデルスゾーンらが活躍したライプチヒ、それにドレスデン、ベルリンの半分がそのまま東ドイツに残ったので、正統的ななドイツ音楽、また音楽教育の伝統はそのまま東ドイツに引き継がれました。国歌も、まさに伝統を感じさせるドイツ的な風格のあるものです。ところがこの画面では、「なぜこの曲は歌われなくなった?、その理由はボタンを押してください・・・」とあって、ボタンを押すと国歌がフルバージョンで流れます。つまり、歌詞のどこかがソ連のお気に召さなかったということらしいです。それで、70年代からは歌詞抜きで演奏されたそうです。















しかし、何とも美しいメロディー、そして感動的な歌詞ではありませんか!

廃墟より甦れ
1.廃墟の闇より
未来に向けて立ち上がり

幸福のため奉仕せん
ドイツ-一つの祖国
過去の苦難を克服し
意志のままに団結する
われらは成功し
陽は今まで以上に光り輝く

 ドイツを照らしながら ドイツを照らしながら
2.平和と幸福が ドイツ-わが祖国にあらんことを 
世界の求める平和を
世界と共に求めよう 
同胞と団結するとき 人民の敵を破り
 平和の光よ導き給う 
母が息子の死で 悲しまない世へ 悲しまない世へ 
3.耕そう 造ろう 学び 働こう 
自由な新しい世代が 信義を生み出す 
ドイツの若人よ 努力を惜しまずに 
ドイツは復活し 陽は今まで以上に光り輝く 
ドイツを照らしながら ドイツを照らしながら
 最後に、この人たち、誰か分かりますか?















89年のベルリンの壁崩壊、90年の東西ドイツの再統一から25年が過ぎて、すでに東ドイツの痕跡はどこにも見当たりません。今、トマ・ピケティー氏の著作が話題となっていますが⇨21世紀の資本 、すでに19世紀後半に科学的社会主義、共産主義へと連なる思想の下に貧富の格差、資本主義社会の不平等を無くそうとした人々がいて、結果はともかく戦後東ドイツのようにその理想を追求した国家があったことを忘れてはならないと思いました。



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