2017年9月30日土曜日

ルターとバッハ②

                              ルターハウスのパンフレット

ヴァルトブルク城内部の見学に思いの外時間がかかりましたが、14:25発車のバスにギリギリ間に合って、町に戻って来ました。
次はバッハ記念館です。他の人たちが全員降りたので、ちょっと不安になってカールス広場というところで下車。駅前からでなくても、スマホにグーグルマップがインストールされているので経路案内を使えば大丈夫、のはずが上手く機能しません。地図がクルクル回るのです。しかし、バッハ記念館のそばには観光バスがたくさん止まっていたので何とかたどり着くことができました。




バッハハウス前には銅像があります。

付近は緑が多いです。


左側が築600年というバッハ一族所有だった古い家、右は近代的な博物館です。二つの建物の裏側に小さいけれど美しい庭園もあります。ちなみに、ここはバッハの生家というわけではなく、当時生活した住居のうちの一つだそうです。博物館には当時の楽器などが展示され、またゆっくり腰掛けてバッハの音楽をヘッドホンで聴くスペースなどがあります。旧宅の一階には広めのサロンがあり、一日数回コンサートが開かれます。

チケットにコンサートの時間が印字されています。

      チェンバロではインベンションなどを。




このオルガンでコラール前奏曲「神はわがやぐら」直後に合唱が始まりました。



ちょうどその時間になったのでコンサートを聴きましたが、これがとても素晴らしいものでした。クラヴィコード、チェンバロ、オルガンを使ってそれぞれに相応しいバッハの名曲をレクチャーコンサートするのです。特にオルガンで、ルター作の賛美歌「神はわがやぐら」に基づくコラール前奏曲を弾き終わるやいなや「さあ、皆さんご一緒に!」の掛け声とともに、サロンのお客さん全員で「神はわがやぐら」の合唱となったのには驚きました。ごく普通のドイツ人の中にも、バッハとルターが息づいているのということを実感しました。
ルター作曲の賛美歌「神はわがやぐら」



バッハは、この賛美歌を教会カンタータBWV80「われらが神は堅きとりで」に昇華しました。このように、ルターと音楽、J.Sバッハは強い絆で結ばれ、ルター派の教会(ルーテル教会)は、今日でも音楽を重んじる教会と言われています。

さて、バッハハウスを後に、ルターハウスへと向かいます。数百メートルの距離なのですぐに到着、と思いきや先ほどのスマホのナビがクルクル回って、迷いに迷ってしまいました。しかも、アイゼナハの町はドイツには珍しく、起伏に富んでいて坂やら階段が多い、しかも路面はゴツゴツの石畳、足が疲れて来ました。実は、このナビの現象は、設定で地図を北向きに固定、をオフにすれば解決するということに後日気が付きました。

しかし、迷ったおかげでアイゼナハの町並みを堪能できました。ルター通りで見かけた古い家。空き家も多かったです。


ここにヨハン・エルンスト・バッハが住んでいたそうです。


ルターハウスに到着。角地です。



 やはり右側は近代的な建物、1階には受付とグッズ売り場。



地下、男子トイレの扉にもルターの肖像がありました。


この家にはルターが学生時代(1498∼1501)、住んだ家だそうで、木組みの外観が印象的です。展示されているのは、古い聖書、当時の家具の模造品など。パネルはドイツ語の他に英語もありますが、日本語はありません。記念館としての規模は小さいほうだと思います。しかし、子どもたちにも十分ルターの業績が楽しみつつ分かるよう配慮されていました。ところで、パネルの中にナチスドイツが、ルターの教えを兵士の教育に利用したとの記述を見つけました。ドイツ語が難しく細部までよく分からなかったのですが、少なからずショックを受けました。

2017年9月29日金曜日

アイゼナハ〜ヴァルトブルク城へ

              ヴァルトブルク城にて
アイゼナハ下車後、まず山の上の世界遺産ヴァルトブルク城に登って城内を観光して下山、市内のルターハウスとバッハハウスを大急ぎで回るスケジュールを立てました。
駅からバスで約10分、ただし1時間に1本程度の運行で、発車したばかり。時は金なりでタクシーに乗ることにしました。ちなみに、多くの旅行記に徒歩で30分のように書いてありますが、中高年には絶対にお勧めできません。自動車やバスを降りたところからお城まで約10分の登りだけでも、かなりしんどいと思います。


  まずは、アイゼナハ駅構内のパン屋さんで腹ごしらえ。

          


         駅前とタクシー乗り場

さて、ドイツでタクシーに乗るのは30年ぶりなので、乗り方も分かりません。ちょっと緊張しつつタクシー乗り場へ行っくと、客は我々だけ。結局、お母さんという感じの女性ドライバーのお世話になることになりました。そこでもう一つ不安が。昔、ドイツでタクシーに乗る時は、必ず助手席に座ってドライバー氏を退屈させぬよう歓談せねばならないと教わったものですが(当時は首相でも助手席でしたね)、今でもそうなんだろうか?前に客がいないとわかりません。恐る恐る、ポクは前かな?後ろかな?と尋ねると、即座に助手席!と指定されました。
さあ、発車。早速、今年はルター師のおかげで観光客が増えて大変でしょうなどと喋りまくりました。話が途切れると緊張で汗が噴き出ます。必死の雑談が功を奏したのか、彼女は機嫌がとても良く、お城がよく見えるポイントで止まって写真を撮らせてくれました。




いよいよヴァルトブルク城に到着。



          

          チューリンゲンの森



ヴァルトブルク城内は、ガイドツアーのみで入館出来ます。チケットに書かれた時間に青い小屋の前に集合、写真撮影禁止、手荷物は見えるように胸の前へなどと注意を受けます。写真撮影は可能とも聞いていたので、この厳しさはちょっと意外です。何か事情があったのかも知れません。


館内では、ます聖女エリザベートの生涯についての展示(感動的です)、それからワーグナーのタンホイザー「ヴァルトブルクの歌合戦」の舞台を彷彿とさせる大広間、そして最後に1521年、神聖ローマ帝国を追放されたルターがユンカー・イエルクと名前を変えてザクセン選帝公フリードリヒ3世によって約1年間城内に匿われ、新約聖書をラテン語からドイツ語に翻訳した小部屋へと続きます。ルターの邪魔をしようとした悪魔に投げつけた壁のインクのシミは既に消え、この部屋で唯一ルターのものは、鯨の骨の足台のみだとか。しかし、かなりの大きさ。こちらのリンクをご覧ください。

2017年9月27日水曜日

ルターとバッハ①

1517年10月31日.、マルティン・ルターがドイツ、ヴィッテンベルクの教会の扉に95ヶ条の論題を張り出して、当時のカトリック教会のあり方(特に贖宥状)を批判したことに端を発したと言われている宗教改革、その事件から今年が500年の記念すべき年となりました。ルターの宗教改革は、中近世のヨーロッパの宗教、文化、政治に大きな変革をもたらしただけでなく、その後現在に至るまで計り知れない影響を与え続けていることは、ご存じの通りです。
少し(かなり?)長くなりましたが、ということで今回ルターの足跡をたどって見ようと1泊の予定で8月29日朝、ミュンヘンを出発しました。
さて、ドイツには、ルターシュタットというルターゆかりの都市が複数あり、その中で有名なのは、先ほどのヴィッテンベルク、また彼が生まれ、亡くなったたアイスレーベン、それからヴァルトブルク城の一室で新約聖書をラテン語からドイツ語に翻訳したとされるアイゼナハなど。その中から、今回は、バッハの生地でもあるアイゼナハを訪ねて、二人分の史跡などを一日で回ることにしました。
多くのルターシュタット、それからJ.S.バッハゆかりの土地は、そのほとんどが旧東ドイツ領内にあったため、30年前の留学中は訪ねることはできませんでした。当時の東西ドイツの国境地帯のことを思い出して、いわゆる鉄のカーテンの東側はどうなっていたのか、また社会主義政権下でルターはどのように評価されたのかなども知りたいと思い続けていたので、その答も見つけることが出来れば嬉しいです。

アイゼナハの駅にはルター(左)、J.S.バッハ(右)の肖像画が大きく描かれています。


ミュンヘンからアイゼナハまでは約400km、途中フルダでICEを乗り継いで約4時間かかります。

ICE882 ハンブルク=アルトナ行、入線して来ます。
    

             先頭車両





2等車内、殆どはこのスタイル、座席の向きは変えられません。


車両の両端に個室、ペットまたは赤ちゃん連れがよく利用します。
  



       実に広々として、清潔な車内トイレ

  フルダ到着、ICE1547ライプチヒ行きに乗り換えます。



ホームの飲み物自動販売機。このタイプが1年の間に急増したように思います。しかしある時、使用方法が分からないお年寄りに、お金は入れたんだが品物が出て来ないんだけど、と質問されました。お金を投入後に飲み物を選ぶのですよ。


   このタイプ、先頭車両では運転席が見えます。


指定席の予約状況(どこからどこまでこの席には予約が入っている)が座席の上に表示されます、昔は車掌さんが紙切れを挟んで回ったものです。





この線区のICEでは、座席に鉄道&バスでルターを訪ねようなどというパンフレットが入っていました。カトリック圏内のバイエルンでは絶対見かけません。


 今日のご乗車についてジャッジしてください!ですと。

約50分後、無事にアイゼナハに到着。ミュンヘンより涼しいです。

     列車の行先にも東ドイツ感が漂います。

 
J.S.バッハ生誕の地です。遂に来ました。