25年ぶりにマイレンの駅に降り立ちました。ところが、かつての我が家へと向かって歩き出した途端に道に迷ってしまい、右往左往。息子は機嫌が悪くなるし時間は迫ってくるし、道行く人に3回尋ねてやっと行き着くことが出来ました。
道に迷って山の上の方まで行ったので、チューリッヒ湖の美しい眺めを見ることが出来ました。
さぁ、ここからは26年前の写真と比べながら行ってみましょう。
懐かしい家の前の道と息子、右が家です。
同じ場所で長女、1989年夏
そして僕(若いです)
この家の地下(日当たりはよいです)に3部屋を借りていました。
大家さんは音楽家一家で、大家さんの亡くなられたご主人もピアニスト・作曲家
でチューリッヒ音楽院の教授だったそうです。チューリッヒに住んでいたピアニスト、ゲザ・アンダご夫妻と一緒に休暇旅行をしたなどと、よくお話してくださいました。そして、そのお父様は有名な作曲家・指揮者フォルクマール・アンドレーエで、チューリッヒトーンハレ管弦楽団の指揮者としてバルトーク、シェーンベルク、ストラヴィンスキーらの作品をスイスで初演されたそうです。また、R.シュトラウスのオーボエ協奏曲が彼に捧げられたそうです。それから、10代の彼がスイスに避暑に来ていたブラームスを訪ねて音楽談義をしたのは有名な話です。僕は大変恵まれたことに、その大家さんの舅さんのスタインウェイ(100年物?)、チェンバロ、オルガン、楽譜など自由に使ってよろしいと言われていました。バッハ平均律の楽譜には1890年代の書き込みがあって感動しましたね。やはりスイスは戦争の被害を受けていないので貴重な昔の文物が残っているのを実感しました。
練習する?長女萌子の写真です。
広いリビング、ホームコンサートも出来ました
チェンバロの向こうにクラヴィコードも
ああ、今ならこんなオルガンが欲しい
ここは玄関の前でした
駅からの坂道
こちらは現在です。とにかくどこもあまり変わっていませんね。
そうこうしているうちに時間がたちました。マイレン駅に戻りましょう
現在
昔
マイレン付近は自然も豊かで本当に住みやすいところでした。練習の合間にチューリッヒ湖に散歩に行ったりしてのんびりと過ごしました。
パンネンシュティルにて 1989年1月
マイレンから対岸のホルゲンに向かうフェリーの上で 1989年1月
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