2018年8月4日土曜日

ライプチヒを後にして

2017年8月30日(水)14時30分頃、シューマンハウスを退出、以下のグーグルマップの経路とは違ってインゼル通りを北上、ショパン通りを左折してライプチヒ中央駅へ向かいます。駅まで徒歩約15分、近くはありません。その昔シューマンは、前述のカフェ・バウムまでこの道を歩いて通ったのか?近道をしたのか?クララと結婚後はカフェ通いを止めたのか?などと考えつつ。


   やや高級なアパートが立ち並ぶ優雅なショパン通り

一日かけてぐるっと市内中心部を回って中央駅へ戻ってきました。



駅前の様子、新しいビルなど建設中


ヨーロッパ最大級の駅ですが、ICEなど一般的なドイツ国鉄の車両が多く、普通の大都会の駅です。

      ちょっと嬉しい旧型の車両発見



         近郊列車でしょうか

だだっ広い構内は三層のショッピングモールとなっています。



       左の民芸品店は面白かったです。

食費節約のため、構内のスーパーで、パンとサラダを買って列車に乗り込みました。ハム売り場、種類が豊富です。

トマトも


帰路ミュンヘンまでは、IC(特急)でゆっくり5時間ほどかけて戻りました。手前のバーコード付きのA4コピー紙が、自宅でプリントアウトした乗車券です。





ライプチヒからイェーナを通って約時間ほど、ガタゴトと山中に入って峠を越えたなと思った所がルードヴィッヒスシュタット、チューリンゲン州からバイエルン州へ入った最初の駅でした。




実は、これは家宝の1986年版ドイツ国鉄時刻表の付録鉄道路線図ですが、この一番上の尖った所がルードヴィヒスシュタット、その上は真っ白、つまり当時は外国(DDR、ドイツ民主共和国=東ドイツ)だったのです。


ちょっと見づらいですが、ルードヴィヒスシュタットという駅名の下の赤いアンダーラインは国境駅を表しています。東西ドイツ分断の時代は、幹線以外のローカル線区は、それぞれの国境で行き止まりとなっていたようです。

つまり、昔であれば我々は東ドイツから国境を越えて西ドイツへ入ったところです。
ドイツ再統一からすでに28年、国境線上の1000キロに及ぶ鉄条網、監視塔などのかつての冷戦時代の遺物はどこにも見当たりませんでした。


 帰りのICは、ニュルンベルクからドナウヴェルト、アウグスブルクと回り道をして、20時過ぎにミュンヘン中央駅に到着、何となく懐かしさを覚えました。




2018年7月22日日曜日

ライプチヒ・シューマンハウスにて


グラッシィ楽器博物館を出て北東へ約650m、大きなドレスデナー通りを越えて脇に入った閑静な住宅街、インゼル通りにシューマンハウスがあります。1828年にライプチヒ大学法学部へ入学、その後1830年にフリードリヒ・ヴィークの家に下宿して正式に音楽家への道を歩み始めたロベルト・シューマンは、ご存知のように師ヴィークの娘クララと恋に落ち、紆余曲折を経て1840年に結婚します。そしてそれからの4年間をこの家で過ごすことになりました。



 


よく知られているように、シューマンの作品番号1〜23番までは全てピアノ曲、しかもそのうち作品11のピアノ・ソナタ第1番以降の作品はクララへの想い、そして彼女と結ばれるまでの闘いのモニュメントとなっています。ところが、結婚した1840年には有名な「詩人の恋」「女の愛と生涯」などを含む歌曲を1年間に120曲以上も作曲し(歌曲の年)、また翌41年にはこの時期の代表作である交響曲第1番「春」、交響曲第4番ニ短調の初稿、序曲・スケルツォとフィナーレなどの作品が生み出され(交響曲の年)、さらに42年にはピアノ五重奏曲、四重奏曲、三曲の弦楽四重奏曲が作曲されました(室内楽の年)。
このように、生涯で最も充実した創作活動を行なった時期に過ごした旧宅を訪れることは、シューマンの霊感を近くに感じられるような気がして、興奮を覚えずにはいられません。

シューマンと同時代の人々、奥ではシューマンの作品の音源を聴くことができます。

  ピアノ協奏曲の第1楽章、この家で作曲されました。
      
 クララ・シューマンのカード、素晴らしいセンスです。

   ユーゲントアルバムOp.68の付録「音楽の座右銘」
  

クララの胸像
 フリードリヒ・ヴィークのものとされるピアノ




シューマン夫妻の住居は2階にあります。ただ、現在この建物はクララ・シューマン小学校としても使われているので、この日は学校行事のため入ることのできない区画がありました。展示室と間違えて開けたドアから、先生が「会議中だけど何か用?」と顔を覗かせたり、ちょっと博物館としては残念な気もします。とはいえ、シューマンハウスの廊下をワ〜ッと駆け抜けて行く子供たちの明るい声は、8人もの子どもをもうけたシューマン夫妻、子煩悩だったロベルトのイメージにぴったりで、楽しい思い出となりました。

入り口のオブジェ



下校時刻のクララ・シューマン小学校




シューマンハウス、月〜金曜日は小学校が終わる14時から開館となるのでご注意を!


2018年5月6日日曜日

グラッシィ楽器博物館②その他の楽器たち

さて、もう一つの目的、シューマン作品を演奏するためのペダルピアノを探し回りましたが、残念ながら見当たりませんでした。やはり一般的な楽器ではなかったのか?次に訪れる予定のシューマンハウスに何か関連するものはないか、などと思いを巡らせているうちに、よく見ればクラヴィコードに足鍵盤が付いているものを発見。

そういえば、この博物館やたらクラヴィコードがあるように思いました。

この文章を書きながら、ネット検索しているとグラッシィ楽器博物館所蔵の「ドメニク・ピサレシンウスが1542年に製作したクラヴィコード」が、現存世界最古!のクラヴィコードで、先のクリストフォリのピアノと並んで最も重要な所蔵品との記述を発見しました。何台ものクラヴィコードのうち、どれがそのクラヴィコードなのか・・・もっと事前に勉強して注意深く見学すべきであったと再び後悔することになりました。もう当分、ライプチヒには行かないので、もしこの博物館に行かれた方はどれがそれなのかご教示ください。

しかし、さすがヨーロッパでは第二、ドイツ第一の規模の楽器博物館です。実に珍しい楽器の数々を拝見しました。

不思議なクラヴィーアたち


           
デスク型ピアノ

          
      これはどうやって弾くのでしょうか?
    鍵盤の配列を変えると難曲がスラスラ弾けるかも



 謎の楽器

こちらも

2台合体ギター?

アルペジョーネだそうです。あのシューベルトのアルペジョーネ・ソナタは本来この楽器のためのものなのですね。


一つ、異色だったのはこれです。FDJとは自由ドイツ青年団のことで、かつて東ドイツ時代の共産主義青年団です。おそらくこのような楽器を用いて行進、パレードを行っていたのでしょう。もうすぐドイツ再統一から30年、かつての社会主義国の面影はどこにもありません。



2018年4月30日月曜日

グラッシィ楽器博物館①クリストフォリのピアノ

グラッシィ楽器博物館へ。さして広くない展示場ですが、入館するやいなや前回見落とした、世界に3台しか残っていないバルトロメオ・クリストフォリ作のピアノの元へ駆け寄りました。急いでいた3年前には気が付かなかったのですが、ピアノは立派なガラスケースの中に収められています。
外見的にはチェンバロのようです。そして、多くのピアノフォルテの中でも最もチェンバロに近い響きだそうで、それは、それまで鍵盤楽器の代表格だったチェンバロの存在が大きかったため、新しい楽器を創作しても響きのイメージは当然チェンバロ的になったからだと思われます。



4オクターブの音域(C-c3)を持ち、ウナコルダストップを備えていたそうです。



この中国風の装飾は、17世紀に流行したシノワズリ=中国趣味の影響でしょう。

クリストフォリが発明したアクションは、すでにほぼ今日のものに近かったそうです。