2018年7月22日日曜日

ライプチヒ・シューマンハウスにて


グラッシィ楽器博物館を出て北東へ約650m、大きなドレスデナー通りを越えて脇に入った閑静な住宅街、インゼル通りにシューマンハウスがあります。1828年にライプチヒ大学法学部へ入学、その後1830年にフリードリヒ・ヴィークの家に下宿して正式に音楽家への道を歩み始めたロベルト・シューマンは、ご存知のように師ヴィークの娘クララと恋に落ち、紆余曲折を経て1840年に結婚します。そしてそれからの4年間をこの家で過ごすことになりました。



 


よく知られているように、シューマンの作品番号1〜23番までは全てピアノ曲、しかもそのうち作品11のピアノ・ソナタ第1番以降の作品はクララへの想い、そして彼女と結ばれるまでの闘いのモニュメントとなっています。ところが、結婚した1840年には有名な「詩人の恋」「女の愛と生涯」などを含む歌曲を1年間に120曲以上も作曲し(歌曲の年)、また翌41年にはこの時期の代表作である交響曲第1番「春」、交響曲第4番ニ短調の初稿、序曲・スケルツォとフィナーレなどの作品が生み出され(交響曲の年)、さらに42年にはピアノ五重奏曲、四重奏曲、三曲の弦楽四重奏曲が作曲されました(室内楽の年)。
このように、生涯で最も充実した創作活動を行なった時期に過ごした旧宅を訪れることは、シューマンの霊感を近くに感じられるような気がして、興奮を覚えずにはいられません。

シューマンと同時代の人々、奥ではシューマンの作品の音源を聴くことができます。

  ピアノ協奏曲の第1楽章、この家で作曲されました。
      
 クララ・シューマンのカード、素晴らしいセンスです。

   ユーゲントアルバムOp.68の付録「音楽の座右銘」
  

クララの胸像
 フリードリヒ・ヴィークのものとされるピアノ




シューマン夫妻の住居は2階にあります。ただ、現在この建物はクララ・シューマン小学校としても使われているので、この日は学校行事のため入ることのできない区画がありました。展示室と間違えて開けたドアから、先生が「会議中だけど何か用?」と顔を覗かせたり、ちょっと博物館としては残念な気もします。とはいえ、シューマンハウスの廊下をワ〜ッと駆け抜けて行く子供たちの明るい声は、8人もの子どもをもうけたシューマン夫妻、子煩悩だったロベルトのイメージにぴったりで、楽しい思い出となりました。

入り口のオブジェ



下校時刻のクララ・シューマン小学校




シューマンハウス、月〜金曜日は小学校が終わる14時から開館となるのでご注意を!


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