2015年1月31日土曜日

ペルガモン博物館〜ベルリンにて①

2014年12月28日、ベルリンのペルガモン博物館を訪れました。ベルリンのシュプレー川の中洲「博物館島」にある5つの博物館のうちの一つで、ギリシャ、ローマ、中近東のヘレニズム美術品、イスラム美術品が展示されています。一番有名な「ゼウスのの大祭壇」は残念ながら改修工事中でしたが、「バビロニアのイシュタール門」「ミレトスの市場門」を見ることは出来ました。規模の大きな展示方法は圧巻です。尚、入館方法はネットでの事前予約が便利で、会館前の午前9時半入場を選びました。事前予約なので行列なし、しかも早朝で入場者も少なくとても快適に拝観できました。入館料は1人11ユーロです。オーディオガイドが充実していたので、日本語の説明を聞きながら2時間以上過ごしました。

この左側、川をわたって博物館島へ入ります。工事中の建物が多かったです。
右は旧国立博物館、荘厳な雰囲気ですね。ペルガモン博物館は左奥です。
こちらは旧博物館です。
ペルガモン博物館入り口、ちょっと工事中でした。
代表的展示物バビロニアのイシュタール門
フラッシュを焚かない撮影は自由だったので、写真を沢山撮りました。
picasaウェブアルバムにまとめました。よろしかったらご覧ください。

2015年1月30日金曜日

ライプチヒ③

その後、トーマス教会を背に次の目的地、メンデルスゾーンハウスへと向かいました。気温はどんどん下がり融けずに残った雪がツルツルと滑ります。15分 ほど歩いて、公園を横切り大きな通りへ出たあたりで完全に道を見失って しまいました。次女がGPS機能付の携帯で場所を割り出したところ、随分南 西にそれてしまったようです。見知らぬ土地では大きな建造物を目印に歩け ば迷わないと、幼い日の父の遺訓を思い出して歩み続けましたが、大きな建 造物が多いライプチヒの場合には当てはまらないことが分かりました。松戸 からスカイツリーを頼りに東京へ向かうような場合は良いかもしれませんが。
地図⇒https://goo.gl/maps/y9bwX
 迷っている最中にこんな建物に出会いました。
「バイエルン・ザクセン鉄 道」なぜここでバイエルン?鉄道博物館か何かと思いましたが、実は Bayerischer Bahnhof)はドイツにおける現役最古(1842年開業)の頭端式駅で、その名の通りかつてここからバイエルンやオーストリア方面行きの 列車が発着していました。2013年以降はライプツィヒ中央駅から中心街地下 を通って当駅の地下ホームへと至る路線が乗客を運んでいます。留学中の森 鷗外も見送りや演奏会に訪れた歴史的駅舎は、現在「バイエリッシャー・バ ーンホーフ(バイエルン駅)」というレストランになっています。
またブライトコップ社のビルも見かけました。
ショパンのエチュード初版を 発売した、ヨーロッパ最古の出版社だそうです。道に迷うのも勉強になるものです。
さて、大幅に時間をロスしてやっとメンデルスゾーンハウスに到着しました が、もう16時を過ぎています。
残念ながら前を通るだけにして、シューマ ンハウスの方を見学しようということになりました。少し東に進むとゲヴァ ントハウスに出ました。

現在ゲヴァントハウスは1981年落成の第3代目とのことです。初代ゲヴァン トハウスがどこにあったのかは知りませんが、もしこの場所ならメンデルス ゾーンは自宅から燕尾服を着てステージに行けた距離ですね。しかし、本番 が終わると打ち上げは先生の所でやろう!などと楽団員がしょっちゅう遊び に来てたりして困ったんじゃないか、などと空想しました。ゲヴァントハウスを過ぎると右手にグラッシイ博物館が現れます。先にシューマンハウスに行って帰りに時間があれば寄ろうということになりました。シューマンハウスはここから東にさらに5分ほど歩いた閑静な住宅街、イン ゼル通りにありました。
この建物の2階部分です。クララと結婚した直後、 1840~1844年までの間シューマン夫妻はここに住みました。メンデルスゾ ーン、リスト、ベルリオーズ、ヴァーグナーそれに作家のアンデルセンらが この家を訪れたそうです。この住居でシューマンはピアノ協奏曲や交響曲第 1番を作曲したそうです。そう考えるとこの狭い空間にロマンティックな楽 想がが今も漂っているような錯覚にとらわれ、不思議な気持ちになりました。
シューマンハウス⇒http://www.leipzig.travel/jp/___1369.html

その後グラッシイ博物館に引返したもののすでに日没、しかもオルガンのコ ンサートに行くために駆け足の見学となってしまいました。
この楽器博物館 は、ヨーロッパ第2位、ドイツで最大の規模を誇る楽器博物館だそうです。 面白い形のチェンバロなどがありましたが、ピアノの発明者バルトロメオ・ クリストフォリが1726年に製作した世界で最も古いピアノの現存する3台の うちの1台があることでよく知られています。ところが事前の学習が足りな くてその事実を知らなかったので、うっかり見過ごしてしまいました。もし 事前に知っていたら必ず見たのですが。 グラッシィ博物館⇒http://www.leipzig.travel/jp/___1370.html

さて、時刻は午後5時になりつつあったため、息子・次女とここで別れてニ コライ教会へ向かいました。
コンサート開演には10分ほど遅刻したので、途 中から入ろうとしたところ、戸に鍵がかかって開きません。わずかな隙間か ら中をうかがうと、すでにコンサートは始まっていてオルガンの音が漏れ聴 こえるも戸の内側には受付も人の気配も無し。もしや入口は他に?と思い教 会の周囲を一周してあらゆる扉をガチャガチャやって見ましたが、全て鍵が かかっています。そうこうするうちに、同じようにコンサートに遅れてきた 人々が教会の前に集まり始めました。教会の前には Nikolaikirche offen für alle(ニコライ教会はすべての人に開かれています)と書かれた看板があります。
音楽ファンらしい一人のご婦人が「あなたドイツ語分かる?こう書かれ ているのに中に入れてもらえないのよ」と話しかけて来ました。「遅刻者以 外の人に開かれてるってことじゃないですか?」と返すとご婦人は苦笑。残念ながら結局コンサートには入場できませんでした。実は、先ほどの看板には歴史的な意味があります。このニコライ教会では東 西冷戦の時代であった80年代から、月曜日に平和の祈りという集会が開かれ ていて、東ドイツの民主化を求める人々がこの場所へ集まりました。つま り、教会はそのような自由を求めるすべての人に開かれているというわけで す。もちろん、今も。そして、その集会が1989年に大きなうねりとなり、ベ ルリンの壁崩壊、東西ドイツ再統一へと繋がって行く一連の東欧民主革命の 出発点となったのです。
ニコライ教会⇒http://www.leipzig.travel/jp/___1376.html

さて、急に暇になったので寒空をライプチヒ中央駅に戻ってソーセージとビ ールの夕食となりました。7ユーロほどだったので、まぁ納得しました。

この後、次女・息子と合流してドイツ2泊目のベ ルリンへ。こうして早朝ミュンヘンを出発した長い1日、僕 の55歳の誕生日は終わりました。 

2015年1月26日月曜日

ライプチヒにて②〜バッハとトーマス教会

さて、トーマス教会の音楽監督、市の参議、大学教師として多忙を極めたライプチヒ時代のバッハは、この地でマタイ受難曲、ヨハネ受難曲、百数十曲の教会カンタータ、平均律第2巻など後半生の総仕上げのような作品群を書き上げました。
そんな活躍の舞台となったトーマス教会の中には自由に入ることができました。

2階では合奏の練習が行われていました。まさに、この場所でこのように毎週日曜日の礼拝でバッハが自作のカンタータを演奏するため、オーケストラと合唱団を率いて練習していたのだと想像すると感動がこみ上げて来ました。

かなり奥行きが広く、プロテスタントのルター派教会らしく、派手な飾り付けや聖像は一切ありません。全体に薄暗い感じです。この反対側に祭壇(内陣)があって、そこの床下にバッハが埋葬されています。バッハのお墓の奥にある洗礼盆では、リヒャルト・ヴァーグナーが洗礼を受けたそうです。


教会の前にはバッハの銅像があります。


バッハ博物館は、トーマス教会の近くにありました⇨こちら。さほど大きくはありませんが、バッハとその一族、時代背景について系統的に網羅されていました。また、日本語のオーディオガイドがあったので細部までよく理解できました。そのため予想以上に時間を費やしてしまいました。



トーマス教会とバッハ博物館の間あたりにバッハは住んでいたそうで、さしずめ職住近接といったところでしょうか。バッハ博物館を去る息子と次女です。

午後3時半にはなり、日が傾き始めました。この後メンデルスゾーン旧邸⇨シューマン旧邸⇨楽器博物館と回って17時からのニコライ教会でのオルガンコンサートに行かねばなりません。さすがにちょっと無理のように思えて、焦り始めました。


ライプチヒにて①〜25年ぶりのヨーロッパ④

J.S.バッハが生涯の後半27年間を過ごし、またその地のトーマス教会でカントル(キリスト教会の音楽の指導者)を務めたことでよく知られているライプチヒに是非とも行きたい、またシューマンとメンデルスゾーンなど多くの音楽家にも縁のある街並みを歩いて、その空気を肌で感じてみたいという思いから、今回の旅行の目的地の一つをライプチヒに決めました。
ライプチヒ市内には、音楽家や音楽に関係する史跡を巡るNotenspur(音色の足跡)という1周5.3㎞の散歩道が整備されています⇨こちら
スタートはゲヴァントハウス・コンサートホールですが、我々は12月27日午後1時にライプチヒ中央駅に到着して、夜にはベルリンのホテルにチェックインせねばならない弾丸ツアーなので、トーマス教会を出発点にしてバッハ関係、グラッシイ楽器博物館、シューマンハウスなどを出来るだけ回ることにしました。

さて、中央駅からマルクト広場に向かって歩き始めると、寒空の下、屋外でピアノを弾いている人がいます。さすが音楽都市、しかし曲目はポップス系でしたが。
マルクト広場近くの旧交易館前にはゲーテ像があります。若き日のゲーテはライプツィヒ大学で法律を学んでいたそうです。

マルクト広場からすぐのところにトーマス教会はありました。しかし、その前にあまりの寒さと空腹に耐えかねて、ラーメンと書いてある日本食レストランに飛び込んで、玉子入りラーメンを食しました。玉子焼きと生野菜乗っかって薄味でヘルシー、約7ユーロ、ミネラルウォーターを頼んで計10ユーロ、三人分で4,500円になりました。



2015年1月24日土曜日

ライプチヒへ③〜25年ぶりのヨーロッパ③さらに続き


ライプチヒ中央駅の列車たち、新型車両ばかりです。ディーゼルカーもありますね。


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使われていないホームに戦前の車両が展示されていました。戦前からの、そして戦後は東ドイツに引き継がれたDR(Deutsche Reichsbahn =ドイツ国営鉄道)のロゴに感動しました。








ライプチヒへ②〜25年ぶりのヨーロッパ③続き

ニュルンベルクを出て1時間ほどすると、山間部に差し掛かりました。周囲にアルプスのような山々はありませんが、列車は低い山地を東に向かってどんどん高度を上げて行きます。ちょっとシュヴァルツバルト(黒い森)に似ています。チューリンゲンの森でしょうか。森を抜けるとイェーナに着きます。もう完全に東ドイツ、ライプチヒまであと70㎞ほどです。

午後12時42分、定刻にライプチヒ中央駅に到着しました。ヨーロッパの頭端式ホーム(行き止まり)駅です。高い天井に広い空間、歴史を感じさせる巨大な駅舎は3階建ての豪華なショッピングモールとなっていました。








へライプチヒへ③に続く⇨こちら

ライプチヒへ①〜25年ぶりのヨーロッパ③

ミュンヘン到着翌日つまり2014年12月27日早朝、まだ夜明け前の朝7時に次女宅を出発して、ライプチヒに向かいました。中央駅7時54発のICE(ドイツ版新幹線)ニュルンベルク乗り換えライプチヒまで約5時間、楽しみにしていたドイツ鉄道の旅が始まります。ちなみにチケットはインターネットの早割で1人30ユーロ(普通に買うと97ユーロです)で予約し自宅でプリントして持って来ました。本当に便利な世の中です。
      
さて、時差ボケで疲れている上に、夜半からの雪が積もって歩きにくく、また次女が朝食用のサンドウィッチを作ってくれたりしている間に時間が過ぎて、中央駅には発車時刻ギリギリの到着となりました。
30年ぶりとなるドイツ国鉄ですが、ICE網が発達して昔のD Zug(急行列車)は無くなりました。また近郊列車はRegioという橙色の車両で、多くの場合2階建ての電車を見かけました。乗車して気がついたこと:昔の客車は個室がほとんどでしたが、今は日本と同じ2×2の特急車両のような座席が主流のようでした。ライプチヒまではネットで個室を予約しましたが、個室は各車両の両端に2部屋ずつで、主に赤ちゃん連れかペット持ち込みの乗客が利用するためのものとなったようです。現に我々の個室にも猫と赤ちゃん連れの方々が乗って来て、景色を見るどころか、ライプチヒに着くまで赤ちゃんのお相手をさせられました。それからICEにもIC(特急)にも食堂車は無く軽食を売るスタンドのみ、また今回乗車しませんでしたが夜行列車もかなり減ったようで、鉄道の近代化は日本と同じように進んでいるようです。昔が懐かしいのはドイツも日本も同じですね。
Regioと個室で出会ったネコちゃんです。

 

さて、IC路線図⇨こちらを見ると、リヒテンフェルスとザールフェルトの間で旧東西ドイツの国境を越えます。ドイツ再統一後初めてのドイツ旅行、しかも昔東ドイツ領だったライプチヒに行けるということで期待に胸が高鳴りました。しかし、再統一からもうすぐ25年、旧東ドイツの痕跡はどこにもありませんでした。

ライプチヒへ②に続く⇨こちら














2015年1月20日火曜日

ミュンヘン初日〜25年ぶりのヨーロッパ②


エティハド航空で23時間のフライトを十分堪能した後、現地時間12月26日午後1時前に無事にミュンヘン国際空港に降り立ちましたが、長旅の余韻に浸る間もなく日没までの数時間内に市内観光を済ませなければなりません。もし、次女の家に寄ってスーツケースを置いたら多分その日はそれで終わってしまう、それでとりあえずミュンヘン中央駅に行って荷物を預けることにしました。空港からSバーン(近郊電車)で約40分 、多くの旅行客で賑わうミュンヘン中央駅に到着。早速大き目のコインロッカーを探しました。大き目のロッカーが24時間5ユーロ、つまり約700円ですね。2つ借りました。

さて、次女の案内に従って、まずはSバーンで2駅ほどのマリエン広場を目指しました。この広場は1158年から市の中心であったそうですが、地図を見ても旧市街の中心であることが良く分かります。旧市街のほとんどはここから歩いて回ることができます。地上に上がると目の前に仕掛け時計で有名な新市庁舎が現れ、広場中央には黄金のマリア柱像が輝いています。すでにクリスマスマーケットは終了していましたが、まだクリスマスの人形を飾っているショーウインドーもありました。






 広場を挟んで市庁舎の向かい側にあるペーター教会では塔の上まで306段の階段を登ると、見事な眺望が広がります。二つの塔がある建物はフラウエン教会、また右手には先ほどの市庁舎が見え、この塔の高さが分かりますね。おまけにこの日は強風と積もった雪が滑ってとても怖い思いをしました。  






この広場でソーセージを食べました。1本4ユーロ(約600円)、昔は2マルク(160円)でしたが、何しろ30年前ですからね。





さて、ソーセージを食べながら、ミュンヘン国立歌劇場前を通ってレジデンツ(宮殿)通りをオデオン広場へ向かいます。
 





レジデンツの脇に鎮座する4匹のライオンが手に持つ紋章に触れると幸運が訪れるという言い伝えがあるため、多くの人が触れるその部分が光っています。









オデオン広場、大きな歴史的建造物が目を惹きます。将軍堂です。





その後、西方向へケーニヒ広場まで歩いて音大などを見学して、地下鉄でゼントリンガー門へ出て、左右にお店が並ぶゼントリンガー通りを歩いてマリエン広場へ戻って来ました。
 






途中にあるアザム教会、入り口は小さいのですが、壮麗な内装に感激しました。




約2時間、これで旧市街一周ですね。
仕上げはホフブロイハウスでドイツ料理とビールで乾杯!


シュバインハクセ(ローストした豚脚)と白ソーセージ、ビールは1リットルで8ユーロ、有名なオクトーバーフェストの時は10ユーロになるそうです。もう日本時間では午前2時、さすがに疲れています。しかし、やはりビールは美味い!








外に出るとすっかり夜になっていました。しかし、寒い中初日からよく歩きました。