11月3日文化の日、茨城県取手市の聖徳大学附属取手聖徳女子中学校・高等学校にて、取手秋季地区ステップが開催されました。
緑に囲まれた静かな校舎、また音楽科レッスン室で本番前に指ならしが出来ることなどとても恵まれた環境でのステップとなって、参加者の皆さまがリラックスされて弾かれているように感じました。
音楽の素晴らしさ、ピアノを続けることで広がる豊かな人生について分かりやすくお話しくださったアドバイザーの竹本 絵己先生、上仲 典子先生、新海 未穂先生、そして開催に当たってご協力いただいた各方面の皆さまに心より御礼申し上げます。
スタッフ一同、ステップでの皆さまとのご縁を大切にさらに活動に取り組んで行きたいと思いました。
2019年11月29日金曜日
2019年5月29日水曜日
ピティナ・ピアノステップ松戸秋山地区 終了しました
令和元年5月12日、聖徳大学附属中学校・高等学校奏楽堂にて第10回松戸秋山地区ステップが開催されました。
アドバイザーにお迎えした時藤 恭子先生、菅原 望先生、直井 文子先生より参加者全員にきめ細やかなアドバイスを頂戴し、また菅原先生のトークコンサートではブルクミュラーの練習曲に始まるとても分かりやすいプログラムで会場は大いに盛り上がって、節目の10回にふさわしい楽しいステップとなりました。
これまでの開催へのご理解、ご協力を頂戴した皆さまに心より御礼申し上げます 。そして、培った継続する喜びを土台に、これからもこの地区で音楽仲間の繋がりが広がり続けることを信じています。
3、4部集合写真
継続表彰
出演者たち
時藤 恭子先生
アドバイザー席
アドバイザーにお迎えした時藤 恭子先生、菅原 望先生、直井 文子先生より参加者全員にきめ細やかなアドバイスを頂戴し、また菅原先生のトークコンサートではブルクミュラーの練習曲に始まるとても分かりやすいプログラムで会場は大いに盛り上がって、節目の10回にふさわしい楽しいステップとなりました。
これまでの開催へのご理解、ご協力を頂戴した皆さまに心より御礼申し上げます 。そして、培った継続する喜びを土台に、これからもこの地区で音楽仲間の繋がりが広がり続けることを信じています。
3、4部集合写真
7部集合写真
継続表彰
出演者たち
熱演
菅原 望先生トークコンサート
直井 文子先生
時藤 恭子先生
アドバイザー席
2019年3月20日水曜日
ダッハウ強制収容所にて
もう、当分ミュンヘンにくることもないでしょう。2019年1月28日、最後に訪れておきたい場所の一つダッハウ強制収容所に向かいました。アウシュビッツのモデルにもなったと言われるナチスの強制収容所の原型がダッハウ強制収容所です。ミュンヘンの北西15kmの郊外に位置し、電車とバスを乗り継いでミュンヘン中心から約30分で行けるところにあります。
1933〜45年の間に約20万人が送り込まれ、その3分の1近くがユダヤ人だったそうです。そして、3万人以上の方々がここで命を落とされました。ナチス政権は、政治犯、共産党員、神父・牧師・浮浪者など権力の意に沿わない者たちを、裁判抜きで拘束し労働改造による再教育、つまり強制労働に従事させる目的でこの施設を作りました。
何重もの鉄条網で囲われた広大な敷地に居住用バラック、火葬場、監視塔などが再現されています。寒風吹きすさぶこの時期にここを訪れ、幽閉され寒さや飢えで苦しんだかつての収容者の絶望、叫びをリアルに感じることが出来ました。そして、この巨大な施設を残すことによって、二度と過ちを繰り返さないように自らを戒めるドイツ国家の強い意思を見たように思いました。
1933〜45年の間に約20万人が送り込まれ、その3分の1近くがユダヤ人だったそうです。そして、3万人以上の方々がここで命を落とされました。ナチス政権は、政治犯、共産党員、神父・牧師・浮浪者など権力の意に沿わない者たちを、裁判抜きで拘束し労働改造による再教育、つまり強制労働に従事させる目的でこの施設を作りました。
何重もの鉄条網で囲われた広大な敷地に居住用バラック、火葬場、監視塔などが再現されています。寒風吹きすさぶこの時期にここを訪れ、幽閉され寒さや飢えで苦しんだかつての収容者の絶望、叫びをリアルに感じることが出来ました。そして、この巨大な施設を残すことによって、二度と過ちを繰り返さないように自らを戒めるドイツ国家の強い意思を見たように思いました。
入口
門扉には働けば自由の文字が
広大な敷地
バラックはほとんど撤去され、見取り図で説明されています。
左前方が残されているバラックです。
木組みのベッド、一人分の寝台に最大16人詰め込まれたそうです。
トイレ、10秒で済ませなければならなかったそうです。
バラックの窓から外の眺め
鉄条網と監視塔
火葬施設
遺体焼却炉
ガス室、この収容所では実際には稼働しなかったという説もありますが、悲惨さのあまり、息苦しくなりました。
正面の建物は博物館になっています。
記念碑、二度と繰り返さないと各国語で
極寒の一日でしたが、多くの小中学生が歴史の教訓を学びに訪れていました。
2019年1月20日日曜日
ハイリゲンシュタットにて
ヴィーンに来たら、君は必ずここへ行き給え!と複数の同僚に勧められたのは、ハイリゲンシュタットです。ヴィーン中心部から地下鉄で30分ほど。そう、ベートーヴェンが有名な ハイリゲンシュタットの遺書を書いたベートーヴェンハウス(博物館)のある場所です。ベートーヴェンが田園交響曲などの楽想を練りつつ歩いた小径を自分の足で辿って、ベートーヴェン作品の命題である「苦悩から歓喜へ」の道のりを、肌で感じようではありませんか
さて、まず地下鉄4番線で終点のハイリゲンシュタット(Heiligenstadt)まで行きます。地下鉄は地上に出て、ヴィーン郊外のベッドタウンという雰囲気の駅前へ。ここから市バス38A番カーレンベルク(Kahlenberg)行きに乗り、アルムブルステルガッセ(Armbrustergasse)下車。ハイリゲンシュタット教会の前に行く来ます。
下車すべきバス停留所がよく分からず、乗り過ごしてしまって数駅歩いて戻ったため、30分ほどかかってアルムブルステルガッセに到着。しかし、案内があまりなくてやや心許ないです。
大勢の観光客を想像していましたが、ほぼ無人。日本人の老夫婦があと一組でした。
それもそのはず、ベートーヴェン博物館は改修中で2017年11月まで閉鎖中とのこと、がっくりです。
仕方がないので、石畳の坂道を下ってベートーヴェンの小径(Beethovengang)に向かうことにしました。
驚いたことに、この界隈に何軒もベートーヴェンの住んだ家、というプレートを発見しました。調べてみると彼は引越し魔で、生涯に80回!も引越ししたそうです。このハイリゲンシュタットは、郊外の別荘感覚で、シーズンに入るとヴィーン市内に居住していたようです。また、部屋を汚すので、大家さんとのトラブルが絶えなかったとか、いかにも彼らしいです。
散々迷ってやっとベートーヴェンの小径へ到着。人は全くいません。ベートーヴェンの曲を思い浮かべながら感慨にふける予定でしたが、この反対側は住宅が並んでいて子供が遊んでいたりと、普通の街の夕方の散歩になってしまいました。
左が有名な小川、右は住宅街です。道路も舗装されていて、歩きやすかったです。
もし、日本だったら歴史に残る楽聖の小径として、もっと周囲を当時のままに保存して観光地らしくするんじゃないか?などど思いました。しかし、大都市近郊では宅地開発は必然だし、遊歩道は明るく広く整備して安全面にも配慮しなきゃならないかと、ベートーヴェンと同じ道を散歩しながら、現実的な感想をつぶやいてしまいました。
斜面にワイン畑、道に迷ったおかげでちょっとだけ往時のような雰囲気を味わうことができました。
小径の途中にあるベートーヴェンルーエ(休憩所)と胸像。周囲に誰もいません。
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