2017年10月16日月曜日

トーマス教会とバッハ博物館

一夜明けて8月30日、快晴のライプチヒです。今日はライプチヒ市内中心部の音楽に関わる名所を回ります。ライプチヒは古くからヨーロッパの出版・印刷の中心地として知られています。旧東ドイツではベルリンに次いで2番めの大都市(現在人口は約52万)、そして、何と言ってもパリ、ウィーンと並ぶ音楽の都でもありました。

音楽家の旧宅などの史跡は、ライプチヒ音楽の軌道として整備され、このうち今回は約5.3kmの「音色の足跡コース」をを徒歩で巡ります。特に、3年前の暮に入館出来なかったメンデルスゾーンハウス、またグラッシィ楽器博物館にはぜひもう一度行きたいと思ってコースを選びました。リンク先をご覧ください⇒ライプチヒ音楽の軌道

最初に、リンク先の音色の足跡コースの地図では16番のトーマス教会を訪ねました。
J.S.バッハが1723〜1750年、つまり亡くなる時まで音楽監督を務めた教会です。

特に最初の数年間、毎週日曜日の礼拝のために年間60曲の教会カンタータを作曲したことで知られています。1曲20〜40分かかるオーケストラ、合唱、独唱を含む曲を一体どうやって毎週作曲したのでしょう?

トーマス教会は朝9時に開くので、まず中へ入ってバッハのお墓にお参りしました。
前回2014年暮れに来た時は、バッハのお墓がどこにあるか分からず苦労しました。祭壇の前、内陣という場所でしょうか、床に文字が刻んであります。

 教会の前のバッハ像、親切なドイツ人のおじさんが、私たちの誇りであるバッハを日本から訪ねてくれた御礼にと撮ってくれました。

      バッハの墓、厳粛な気持ちになります。


振り返ると・・・前回は、オルガンの演奏台のところで小オーケストラがモテットの練習をしていました。

教会の斜向い、にはバッハ博物館があります。かつてバッハが住んでいたと言われるトーマス学校・寄宿舎はトーマス教会と博物館の間に建っていたそうです。

       トーマス教会とバッハ博物館の間





ここから入って中庭を通ったところが入り口です。

中庭

入り口

10時まで開かないので、入口横のショップを覗きます。
やはり、ルターグッズがありますね。


    家系図、初代バッハはパン屋さんだったそうです。

            

   日本語のオーディオガイドがあって助かりました。

家族の不和とは、大バッハ没後、末子ヨハン・クリスチャン・バッハが、職を求めてミラノへ行った際、カトリックに改宗してしまったことを知った、兄カール・フィリップ・エマニュエル・バッハが激怒して、ご先祖様に申し訳が立たない、と言って兄弟の縁を切ったと言うことだそうです。

            
    実際にバッハが演奏の際に使ったオルガン台。


このパイプに触れると、音楽が再生されます。

 バッハ自身の持ち物であったと確認された唯一遺品、行李だそうです。

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