音楽家の旧宅などの史跡は、ライプチヒ音楽の軌道として整備され、このうち今回は約5.3kmの「音色の足跡コース」をを徒歩で巡ります。特に、3年前の暮に入館出来なかったメンデルスゾーンハウス、またグラッシィ楽器博物館にはぜひもう一度行きたいと思ってコースを選びました。リンク先をご覧ください⇒ライプチヒ音楽の軌道
最初に、リンク先の音色の足跡コースの地図では16番のトーマス教会を訪ねました。
J.S.バッハが1723〜1750年、つまり亡くなる時まで音楽監督を務めた教会です。
特に最初の数年間、毎週日曜日の礼拝のために年間60曲の教会カンタータを作曲したことで知られています。1曲20〜40分かかるオーケストラ、合唱、独唱を含む曲を一体どうやって毎週作曲したのでしょう?
トーマス教会は朝9時に開くので、まず中へ入ってバッハのお墓にお参りしました。
前回2014年暮れに来た時は、バッハのお墓がどこにあるか分からず苦労しました。祭壇の前、内陣という場所でしょうか、床に文字が刻んであります。
バッハの墓、厳粛な気持ちになります。
振り返ると・・・前回は、オルガンの演奏台のところで小オーケストラがモテットの練習をしていました。
教会の斜向い、にはバッハ博物館があります。かつてバッハが住んでいたと言われるトーマス学校・寄宿舎はトーマス教会と博物館の間に建っていたそうです。
ここから入って中庭を通ったところが入り口です。
中庭
入り口
10時まで開かないので、入口横のショップを覗きます。
やはり、ルターグッズがありますね。
家系図、初代バッハはパン屋さんだったそうです。
家族の不和とは、大バッハ没後、末子ヨハン・クリスチャン・バッハが、職を求めてミラノへ行った際、カトリックに改宗してしまったことを知った、兄カール・フィリップ・エマニュエル・バッハが激怒して、ご先祖様に申し訳が立たない、と言って兄弟の縁を切ったと言うことだそうです。
実際にバッハが演奏の際に使ったオルガン台。
このパイプに触れると、音楽が再生されます。
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