2015年1月30日金曜日

ライプチヒ③

その後、トーマス教会を背に次の目的地、メンデルスゾーンハウスへと向かいました。気温はどんどん下がり融けずに残った雪がツルツルと滑ります。15分 ほど歩いて、公園を横切り大きな通りへ出たあたりで完全に道を見失って しまいました。次女がGPS機能付の携帯で場所を割り出したところ、随分南 西にそれてしまったようです。見知らぬ土地では大きな建造物を目印に歩け ば迷わないと、幼い日の父の遺訓を思い出して歩み続けましたが、大きな建 造物が多いライプチヒの場合には当てはまらないことが分かりました。松戸 からスカイツリーを頼りに東京へ向かうような場合は良いかもしれませんが。
地図⇒https://goo.gl/maps/y9bwX
 迷っている最中にこんな建物に出会いました。
「バイエルン・ザクセン鉄 道」なぜここでバイエルン?鉄道博物館か何かと思いましたが、実は Bayerischer Bahnhof)はドイツにおける現役最古(1842年開業)の頭端式駅で、その名の通りかつてここからバイエルンやオーストリア方面行きの 列車が発着していました。2013年以降はライプツィヒ中央駅から中心街地下 を通って当駅の地下ホームへと至る路線が乗客を運んでいます。留学中の森 鷗外も見送りや演奏会に訪れた歴史的駅舎は、現在「バイエリッシャー・バ ーンホーフ(バイエルン駅)」というレストランになっています。
またブライトコップ社のビルも見かけました。
ショパンのエチュード初版を 発売した、ヨーロッパ最古の出版社だそうです。道に迷うのも勉強になるものです。
さて、大幅に時間をロスしてやっとメンデルスゾーンハウスに到着しました が、もう16時を過ぎています。
残念ながら前を通るだけにして、シューマ ンハウスの方を見学しようということになりました。少し東に進むとゲヴァ ントハウスに出ました。

現在ゲヴァントハウスは1981年落成の第3代目とのことです。初代ゲヴァン トハウスがどこにあったのかは知りませんが、もしこの場所ならメンデルス ゾーンは自宅から燕尾服を着てステージに行けた距離ですね。しかし、本番 が終わると打ち上げは先生の所でやろう!などと楽団員がしょっちゅう遊び に来てたりして困ったんじゃないか、などと空想しました。ゲヴァントハウスを過ぎると右手にグラッシイ博物館が現れます。先にシューマンハウスに行って帰りに時間があれば寄ろうということになりました。シューマンハウスはここから東にさらに5分ほど歩いた閑静な住宅街、イン ゼル通りにありました。
この建物の2階部分です。クララと結婚した直後、 1840~1844年までの間シューマン夫妻はここに住みました。メンデルスゾ ーン、リスト、ベルリオーズ、ヴァーグナーそれに作家のアンデルセンらが この家を訪れたそうです。この住居でシューマンはピアノ協奏曲や交響曲第 1番を作曲したそうです。そう考えるとこの狭い空間にロマンティックな楽 想がが今も漂っているような錯覚にとらわれ、不思議な気持ちになりました。
シューマンハウス⇒http://www.leipzig.travel/jp/___1369.html

その後グラッシイ博物館に引返したもののすでに日没、しかもオルガンのコ ンサートに行くために駆け足の見学となってしまいました。
この楽器博物館 は、ヨーロッパ第2位、ドイツで最大の規模を誇る楽器博物館だそうです。 面白い形のチェンバロなどがありましたが、ピアノの発明者バルトロメオ・ クリストフォリが1726年に製作した世界で最も古いピアノの現存する3台の うちの1台があることでよく知られています。ところが事前の学習が足りな くてその事実を知らなかったので、うっかり見過ごしてしまいました。もし 事前に知っていたら必ず見たのですが。 グラッシィ博物館⇒http://www.leipzig.travel/jp/___1370.html

さて、時刻は午後5時になりつつあったため、息子・次女とここで別れてニ コライ教会へ向かいました。
コンサート開演には10分ほど遅刻したので、途 中から入ろうとしたところ、戸に鍵がかかって開きません。わずかな隙間か ら中をうかがうと、すでにコンサートは始まっていてオルガンの音が漏れ聴 こえるも戸の内側には受付も人の気配も無し。もしや入口は他に?と思い教 会の周囲を一周してあらゆる扉をガチャガチャやって見ましたが、全て鍵が かかっています。そうこうするうちに、同じようにコンサートに遅れてきた 人々が教会の前に集まり始めました。教会の前には Nikolaikirche offen für alle(ニコライ教会はすべての人に開かれています)と書かれた看板があります。
音楽ファンらしい一人のご婦人が「あなたドイツ語分かる?こう書かれ ているのに中に入れてもらえないのよ」と話しかけて来ました。「遅刻者以 外の人に開かれてるってことじゃないですか?」と返すとご婦人は苦笑。残念ながら結局コンサートには入場できませんでした。実は、先ほどの看板には歴史的な意味があります。このニコライ教会では東 西冷戦の時代であった80年代から、月曜日に平和の祈りという集会が開かれ ていて、東ドイツの民主化を求める人々がこの場所へ集まりました。つま り、教会はそのような自由を求めるすべての人に開かれているというわけで す。もちろん、今も。そして、その集会が1989年に大きなうねりとなり、ベ ルリンの壁崩壊、東西ドイツ再統一へと繋がって行く一連の東欧民主革命の 出発点となったのです。
ニコライ教会⇒http://www.leipzig.travel/jp/___1376.html

さて、急に暇になったので寒空をライプチヒ中央駅に戻ってソーセージとビ ールの夕食となりました。7ユーロほどだったので、まぁ納得しました。

この後、次女・息子と合流してドイツ2泊目のベ ルリンへ。こうして早朝ミュンヘンを出発した長い1日、僕 の55歳の誕生日は終わりました。 

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